贈られることのない絵葉書と、

わたしがぼんやりとしている間に世間は12月も6日目を迎えてしまったようだけれども、そんな夜

 

わたしはわたしを、書き起こすことにした。

 

気持ちを考えること、文字を見ること、それを飲み込むこと、そして理解すること、それらを全て自分一人で回してみようと決めた。今決めた。軽率である。

 

どうしてこのツールなのか、もっと他の選択肢があるのかも知れない。けれど機械系・情報系に疎いわたしにはそれを知る術もなければ使いこなす術もない。わたしには、他のソーシャルネットワークじゃいけない気がした。きっと適応できない、と。

 

かといってこの場所を使いきれるかどうかは甚だ疑問だけれども

 

 

こうして頭のなかをひっくり返して見るとわたしの生き方は随分勝手な人間のそれだ。

 

母からのメールを心待ちにしていたあの頃。

今は連絡が来るだけで混乱しそうになる。

身勝手な娘を無償で応援してくれる母を本当に尊敬しているし、だけど、本当に理解できない。こんな娘。こんなわたし。

 

 

母と連絡を絶ってもう暫く経つ。と言ってもほんの数週間だが。逆説的に言うとそれ以前の関係が親密だったということだ。それでも母から逃げたこの約一ヶ月は今まで過ごしたどの一ヶ月よりも長い。長く、遠く、感じる。

 

わたしが、悪い。

母は優しい。厳しい。強い。

母は

 

わたしを愛してくれている。

 

それでも今は、たとえ土砂降りの雨の中だったとしても、母が差し出してくれる傘から逃れ、自分の足で、走って、走って、走って、家に帰りたいと思う。

 

今年の母の誕生日に、と購入したピーターラビットのハンカチと絵葉書は、きっと母の元へ届くことはない。